幼少期の書道と武田双雲さん

私の幼少期は、他人に対してとても大人しい子供でした。家族以外の人が怖くて、子供会行事があっても、集合場所まで行ったにも関わらず、踵を返してしくしくと泣きながら自宅に戻ってしまうような子供だったのです。私のように自己主張できない子は、大きいお兄ちゃんやお姉ちゃんに疎まれている気がして、すでに出来上がった輪に入っていくことができず当然ながら存在感も薄い子供でした。

そんな幼少期に、書道教室に通うようになって、書の先生に「あなたはとても良い字を書く。続けていきなさい」と言われたことによって、急に自分の存在感が認められた気分になり、書道という居場所が大好きになりました。それからというもの、人が書く字や、看板文字なども注意深く観察する子供になりました。あんな風な字が書きたいな、こんな文字は書きたくないな・・・頭の中で想像していました。
さて、話は変わりますが、最近ラジオで武田双雲氏がゲスト出演していて、彼の幼少期から今までの生い立ちを知ることがあり大変衝撃を受けました。

熊本県出身の1975年生まれの武田さんは3歳より書家である母・武田双葉(たけだ・そうよう)さんに師事し、NHK大河ドラマ「天地人」やスーパーコンピュータ「京」など、これまで数多くの題字やロゴを手がける書家です。

そんな彼は、幼少の頃、隣の男の子から違う学年の女の子のところまで行って、ひらがなを集めて、“くせ字”を、珍獣ハンターのように集めていて、筆跡鑑定でその人のメンタリティまで分かるようになったそうです。
ただ、ひたすら明るく、毎日何にでも反応して、カーテンが揺らいでいたらずっと一緒にカーテンと揺らいでいるような幼少期だったそうですが、迷惑をかけるタイプではないけれど、小学校5年生ぐらいから、無視されるようになり、辛い学生時代があったそうです。

でも、友達がいなかったお陰で大好きな宇宙に関わる物理学や相対性理論に目覚め、ひたすら勉学に励み高校卒業後は東京理科大学理工学部に入学しのちにNTT東日本に就職するのですが、ある女性社員の名前を代筆したところ、その筆跡を見た女性から、「今までは自分の名前が嫌いだったけれど、初めて自分の名前が好きになれた」と涙を流して感動され、それを機に、次の日、辞表を出していたそうです。

小中高と人間関係が上手く行かなかった時代に人を感動させたことなんてなかったけれど、その時に人に感動されたことがあまりにも衝撃的で、その後ストリート書家になり今は現代アーティストとして、また沢山の著書もある文筆家でもあります。
日本には1億個の名前があり、それを全て自分が書きあげることで商売になるのでは?など面白い発想もあったそうです。今ではアメリカでの個展も行っておられ拠点をアメリカに移すことも考えられているようです。

実は、40代になってADHD(注意欠陥・多動性障害)であると気付いたそうです。でも、そのおかげで、一つの事に集中でき、類まれなアーティストとして活躍され現在に至ります。
私も双雲氏と同じように人が書く文字にとても関心があったことに共通項があり、興味を持ちました。

書道はよく考えてみると日本人ならではの習い事ですし、武田双雲さんの“書“や”文字“に対する視点は面白いなと思いました。改めて、幼少期の子供達にも文字のなりたちという視点や書の良さが伝わって日本の文化を海外にも伝えていければいいなと思います。

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